2016年1月31日

進捗

元来良く似たものということなので、Klon Centaur の回路図を見ながらテスタを当てている。定数は違うが、今のところほぼそのままだ。

裏面にも幾つか部品が載っていそうな気がする。機構部品を外して基板を動かさないと見られない。めんどくさいな……

分解

(っω=).oO ねむい

勢いで購入したエフェクタが届いたので、早速蓋を開けてテスタを当ててみようと思う。表面実装ばかりでパターンも読みにくいので、地道に接点同士を探っていく作業になるだろう。

昇圧回路が内蔵されていることは見当がついているし、ものはブースターだから、オペアンプの使い方も増幅、バッファ、フィルタ、加算あたりが出てきそうかなという予測はある。

この程度の浅い考えでも、総当たりよりは少しマシに作業ができるのではないか…… 取らぬ狸の皮算用というところだ。

僕の平穏な暮らしについて

Twitter を止めて以来、あまり正体不明の「世間」と対峙することがなく、従ってよく分からない相手に対して無意味に腹を立てることがない。極めて平穏な日々を送っている。

その一方で、目前の問題を超えて何かを考えることが一切なくなったとも思う。

実効から考えると、これが最良の選択肢であると思う。僕がなにか言ったところで、別にそれが問題に貢献するわけではない。そもそも僕の方でも、誰へともなく呟くのに留まらず、積極的に行動を起こして何かを変えようという気もないのだ。

つまり、結局は別に現状を変えてやろうと本気で思ってはいないということだ。

そうであれば、直接にしろ間接にしろ働きかけるつもりもないことに対して、それでも発言だけするというのは、「一応問題があることには気づいていますよ」というポーズ以上の何でもないだろう。そんなことのために虚ろな攻撃性を振り回すというのは本当に空疎だ。

僕は既に人生というものを半ば諦めているのだと思う。強いてこの先どうしてもやりたい事はないから、例えばいつ死んでも特に悔いることもない。単に、死ぬのがひたすら怖いというだけで、あとのことは、最小の労力で結末を先延ばしにしている間の、言わば暇つぶしみたいなものだ。

たかが暇つぶしで無闇に腹を立てたり、あまつさえそれで人を傷付けたりするのは、無意味どころか害しかないだろう。

従って、目の前のことだけに関わって一日を終え、それを繰り返して行けるならば、恐らくそれが最良の選択なのだと思う。

もちろん、これが最良という結論になるのは、なにかこの世界で間違っていると思うものを正したいとか、問題や自分の願望に真っ直ぐ向き合おうという考えを放棄しているからだ。それが「人生を諦めている」ということだと思う。

その様な、何となく達観にも見えなくはない思考停止に落ち着いてしまったことに対して、うっすらと恥の様なものはある。明確な答えのないことに対して、答えがないことを知った上で、なお最善を求めて悩み続ける営みにしか、僕の考える「正しさ」は無かったと思う。それを手放してしまった以上は、いまさら何を言っても、すべて嘘と同じだろう。

しかし、それも最早どうでもいい様な気がする。

まじオススメ

銀猫日報読みましょう。
http://d.hatena.ne.jp/nyro2/

いま僕に書ける最も有益なことを書いた。

2016年1月30日

ブティック

Colorsound Overdriver の改良版と謳うブティック系ペダル(公式ページで本当にそう謳っている。いいのか?)の回路図が某所に出回っていたのだが、入力部がこうなっている。

500K はトリマと思しい。プリセットされている減衰器をスイッチでショートさせることで音量が上がる、というのが狙いだろう。これをプリゲインと称するのはどうかと思うが、演奏上の実用性はあるのだろう。

それにしても、スイッチをショート側に入れると入力がトリマの2番端子に繋がるというのはどうもおかしい。某所で指摘されていたことだが、極端な例としてトリマが回りきっていて2番端子とグラウンドがショートしていた場合、プリゲインスイッチを入れると入力がグラウンドにショートされて音が出なくなる。もちろん、そういう動作にならない様にトリマを設定してあるのだろうが。

また、入力からグラウンドに向かう 2.2M も「全くの無駄」と指摘されていた。意図はポップノイズ防止だろうけれど、入力コンデンサは既に 500K のトリマでグラウンドと繋がっているのだから、これと並列にいくら大きな抵抗を入れても、合成値はどうしたって 500K より小さくなる理屈で、確かにあるだけ無駄というか、強いて言えばない方がましだろう。

そんなわけで「回路図が間違っているのではないか」という声も上がっていたが、さあどうか。この入力部と、クリッピングダイオード部分(なぜか片方はゲルマニウムトランジスタをダイオード接続で使っている)を除いては、定数も含めてまったく Colorsound のコピーだ。トランジスタの動作点に関わる抵抗がトリマになっていたりするが、それも果たして意味があるのか。全体の胡乱さから考えると、このおかしい回路図が現物ママということは十分ありそうに思う。

$319。理屈はともかく、良い音がするならそれだけの価値があるのかも分からない。

2016年1月29日

早寝早起き

いつもより少し寝るのが遅くなってしまったのだが、思ったより眠くないな。といって油断してこれを続けているとやがてドロヌーバみたいになる。

2016年1月28日

遅刻

日野立川間でイオンが発生したため電車が止まっているとか言っていた。癒やし効果だろうか。

2016年1月27日

欠乏

料理をしていて何か足りないと思ったらそれは塩だし、同様に生きていて何か足りないと思ったらそれは水だ。

複雑に考えたくなるものが、案外それだけのことだったりする。しかし惟みるに複雑なのがより高尚だとか偉いとかいうことはないのであって、単純でいけない理由はない。単純なのが特に偉いということもないと思うが。

フェイズ終了

Bioshock Infinite をクリアし、Portal 2 をクリアしたあたりで、若干遊び疲れて来た感じがする。字幕を読むのに集中力を使い過ぎているのかもしれない。

年末に Steam で買ったゲームとしては、まだ Super Meat Boy や Risk of Rain などが残っているのだが、いま急いでやらねばならない理由もないのだし、後の楽しみということにしておこうか。そう言いながら直ぐに始めるかもしれない。

目下僕にしては意外と時間に余裕がない。言うまでもなく、世間の大抵の人よりは暇なのだけれども、世間の大抵の人は寝不足なので、あまりその基準で物を考えてはいけないと思っている。

そろそろ寝ないと……

2016年1月26日

Performers and portrayers

All the world's a stage,
And all the men and women merely players.

https://en.m.wikipedia.org/wiki/All_the_world%27s_a_stage

世界とか人生を劇の舞台に喩えるのはこれが有名だろう。Rush の Limelight にも、

All the world's indeed a stage,
and we are merely players

という一節があった様に思うが、これなどは明確に引用と分かる。

シェイクスピアでは他にもマクベスのモノローグに、

Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage

云々というのがある。とりあえず思い出せるのはこれくらいだが、まだ類するものがあるのではないかと思う。なんにせよ、これを劇の登場人物が台詞として言うところに面白味がある。

コロンブスの卵かもしれないが、物凄く奇抜な発想というわけでもない様に感じるので、類似の表現の悉くがシェイクスピアへの言及であるとは断定しにくい。ただ、現代の文脈で All the world's a stage とか Life is but a play とかいったフレーズが出てくると、避け難くシェイクスピアを連想させる程度のものではありそうだ。

さすがと言うべきなのか、シェイクスピア起源とされるフレーズは多く、豆知識といった軽い調子で羅列してあるサイトを見かけた記憶がある。まあ、別にシェイクスピアが発明したわけではなく、単に記録として残存している用例がシェイクスピアしかないというだけの物も多いのではないかと思う。

調べたわけではないが、brave new world というのも『テンペスト』の中で使われているのが元だろう。この劇の中では brave という語が何度か出てくるが、「勇敢な」ではなく、「素晴らしい」という程度の意味合いで、イタリア語の bravo に近い。当時は英語でも普通に行われる用法だったのだろう。

こういうことを知っていたところで何がどうということでもない。ただ、当の英語話者が例えば brave new world といったフレーズを使うとき、どの程度の割合でシェイクスピアが意識されているのかは多少気になる。

フライデー

ルーチンワークの記録を Pythonista でつけている。言ってしまえばタイムカードみたいなものだ。

記録はひと月分ごとに pickle で保存して、必要に応じてスクリプトでテキストに展開していたが、pickle のままだと Python からしかいじれないし、一度テキストにしてしまうと今度は逆にパースするのが面倒だ。

となると、既に Python モジュールでサポートされているテキストベースのデータフォーマットを使えば良いのではないか。これに気づくのに三ヶ月かかった。

とりあえず思い浮かんだ XML でやってみようとしたけれど、あまり適当でない気がした。<person name="someone">... と書くのと <person><name>someone</name>... と書くのと、どういう場合にどちらを選ぶべきか、今回の様な些細な用途ではさほど悩むべきことでもないのだろうが、それでもどちらかを選ばなければならない。根拠もなく選んだら、どうせ後でどちらを選んだか忘れるに決まっている。

XML でないとすると、あとは JSON というやつか? これも Python に json というモジュールがあるので扱いは楽だろう。

どちらにせよ、多寡がこれだけのことをするのに随分大仰な感じもする。まあこれも経験かもしれない。

2016年1月18日

Wheatley

Portal をさくっとクリアして Portal 2 を始める。Wheatley が最高に良い。

スタンドアップコメディみたいな喋り方だな、と思ったら、声を当てているのが Stephen Merchant というイギリスのコメディアンだった(スタンドアップが主ではない様だけれど)。

製作陣が Merchant のファンで、喋り方をイメージして Wheatley の台詞を書き、最終的には本人に出演を依頼することになったのだそうだ。アドリブに任せている部分も多いらしい。

そんなわけで、検索してみたらスタンドアップコメディをやってるときの映像も出てきたが、ほぼそのままという感じなのがまた可笑しい。

冬の物いり

雪のため電車が止まっており、駅の入場制限で二時間ほど待つことになった。天候のことだから仕方がない。

ようやく電車に乗って目的地の近くまで来たが、歩いていたらビル風で傘が壊れた。

傘というのは出かけた帰りに降っていないとどこかに忘れてしまいがちなものだ。それが分かっているからついビニールの安物を買う。しかし、ビニールの安物だからつい忘れてしまうのではないかという気もする。

安いと言っても五百円くらいはするし、もう千円ほど出せば多少は作りのしっかりしたものが買える。金銭の面だけで言えば、失くしたり壊れたりするまで3倍長持ちしたら先ず損はないという勘定になるだろうか。そう非現実的でもないかと思う。

2016年1月16日

BioShock (Normal)

BioShock 2 がノーマルでクリアできたんだから、1 もノーマルでできそうだと思い、二回目を始めてみた。武器の使い分けはある程度分かっているので、まずまず問題なく進んで半ばほどまで来たが、いい具合に飽きてきた。

2 に比べて超能力の回復手段が限られているので、つい出し惜しみをしてしまう。現状、弾薬も十分あるし、お金と回復アイテムは限界まで持っていて、拾えなかった分がマップのあちこちに転がっている様な状態だから、もっと積極的に使うのが正しい。

上手だからこうなるのではなく、単にいつでもセーブできるので、つい過剰にやり直しをしてしまうだけの話だ。

悪について

メモ:悪くない代官もいる(いた)

そもそも代官というものがその性おのずから悪であるならば、わざわざ「悪代官」と重ねて言うのは「悪泥棒」とか「悪ヤクザ」とか言うのと同じことになる。つまり、悪代官という言葉があること自体が、悪くない代官も少なくとも概念上は自家撞着なく存在し得ることを、高い蓋然性をもって示唆していると、そう論理的に帰着せざるを得ない。

よく考えてみれば代官とは一体なんなのか。山吹色のお菓子を貰って例の件をよしなにするのがその本来の役職ではない筈だが、では代官の正しい在り方とはどの様なものか、朧気な印象すら持っていないことにふと気がついた。

思えばこれまで生きてきて実際に代官と親しく付き合うことがなく、第一人称的に証言を得ることができなかった。交遊が狭いことの弊害だろう。

人付き合いの仕方については追々考えていくとして、代官を悪役にする伝統というのはいつ頃からあるものなのだろう。あるいは、なんとなく思っているほど普遍的な構造でもなくて、少数のテレビ時代劇のイメージが肥大化して流布しているに過ぎないのだろうか。

システムの腐敗によって市民が苦しんでいるが、腐敗しているのは飽くまで中間的な権力者である、というのは、市民側にも体制側にも言い訳ができるから、なかなか良くできているというか、ひとつの常套と言えそうだ。

実際に中間的な立場に置かれた人にとってはいい迷惑で、もはや山吹色のお菓子くらいしか人生に楽しみがないということになっても仕方がないかもしれない。

銘菓ひよ子とか。

2016年1月14日

BioShock 2

暇な時間はほぼゲームしてました。というわけで BioShock 2 を Normal でクリア。

1 より流血や残酷な表現が減ったことを始め、ホラーっぽさは薄まった様に思う。主人公の背景や動機がぼんやりしていて、プロットの進行はお使いの雰囲気が拭えない。悪役もやや扱いに困るし、全体に消化不良といったところ。

ゲーム自体は楽しい。どの武器にも個性があるし、超能力の使い方も工夫の余地が増えた様に思う。もっとも、Normal ではほぼ力押しでなんとかなってしまい、幾つかある設置型の武器は使わずに終わった。

常時有効のスキルに便利なものが多く、道具立ての揃ってくる後半の方が差し引きで簡単に感じられた。

どうせ Hard は地獄なんだろうな……

2016年1月7日

ぶるぶるパック

はじめてゲームのコントローラーに振動する機能がついた時、また下らない小細工をと思ったものだが、気がつくとすっかり標準化している。

「うちとしてももっと革新的なゲーム体験を提供したいんだ。こう、思わず震えがくるような」
「それだ」

というような社内会議があったのではないかと思う。

なにか小型のモーターが入っているのだろうが、それ以上のことは想像もつかない。コントローラー側のインターフェイスICが、受信したぶるぶるness情報を翻訳してモーターを制御しているのだろうか。

ムービーシーンなどでコントローラーから手を離して眺めていると、ビルなどが爆発したついでに机の上でガタガタ言いだしたりして少し慌てる。

考察

子持ちわかめのお前の子じゃない感は異常。

まあ、子持ちししゃもと称するものも、多くはオスのししゃもに口から卵を詰め込んだものだと聞く。とはいえししゃもの卵であるには違いないから、慶弔の折々に見かける親戚くらいの関係はままあるかもしれない。わかめとニシンの卵では、億に一つも血縁はないだろう。

とはいえ血縁だけが親子の縁ではない。養子ということもある。また、精神的な繋がりということもあるだろう。我が子も同然に思うというやつだ。

しかし、気持ちの問題というのは往々にしてすれ違いを生むもので、わかめの方でそう思っていても、卵の方でどう考えているか、なにせ数が多いから分からない。

あるいは決めつけをするのが良くないので、珊瑚蟲が珊瑚を形成するが如く、卵、ニシン、わかめのライフサイクルを持つ生き物なのかもしれない。もはや海のものとも山のものともつかない。

海のものだが。

2016年1月6日

0.1μF

http://www.ti.com/lit/an/sloa093/sloa093.pdf

30秒でフィルタ設計! 30秒は言い過ぎだと思う。

Texas Instruments や Analog Devices はこういう資料を色々公開しているのでありがたい。しかも意外とノリが軽い。

2016年1月5日

エフェクタの逆電圧保護

久しぶりにエフェクタの基板レイアウトに取り掛かる。なんのことはないオペアンプ一回路の反転増幅器なのだが、どうにも苦戦している。抵抗が整然と並ぶようになどと変な欲を出すから良くないというか、その為に配線が複雑になるのでは本末顛倒という気がする。

ところで、これまで作ったものは、最初に読んだ本の流儀に倣ってDCジャックのマイナス側になる極と入力ジャックとを整流用ダイオードでつないでいた。電源スイッチと逆電圧対策を兼ねているのだけれど、果たしてこの方法はどうだろう。

エフェクタ同士を直列に繋ぐとき、パッチケーブルを介して両者のグラウンドも接続される。もし、この二つのエフェクタが電源を共有しており、かつ片方だけが上記のダイオードの使い方をしていた場合はどうなるか。

回路的にはダイオードがショートされるだけの話だから、まあ保護としての用は成さなくなるが、大きな問題はないのだろう。ただ、わざわざパッチケーブルから隣のエフェクタに入って行き、そこでやっとグラウンドと繋がるわけだから、配線距離は無意味に長くなる。

エフェクタに於いて、グラウンドの配線長というのが、どの程度気にするべき問題なのかはよく分からない。しかし、プリント基板を使わないポイントトゥポイントのビルドは音が違う、などと称するくらいなら、相当気にして然るべき問題なのではないかと思う。

電源が全く別個だったり、あるいは電源を共有する(同じパワーサプライに並列に接続されている)全てのエフェクタがこの流儀で作られているなら問題はなさそうだから、その様に使い方を限定すれば良いとも言える。

ただ、繋ぐ電源のスペックをそこまで限定するならば、そもそも逆接続防止などというもの自体が蛇足だと思う。

実は以前からこの点についてはぼんやり気掛かりだったのだが、つい惰性で同じ作りかたを続けてしまった。再開を機に改めようと思う。

2016年1月4日

睡眠不足

一昨日の夜を寝ずに過ごし、昨日は九時ごろ就寝。七時半に起床し、無理やり生活時間帯を元に戻す。

脳に溜まった老廃物が、寝ている間に洗浄されるのだそうで、従って睡眠を取らないとゴミが積み重なっていくのだが、一方まだないゴミを前もって捨てることはできないのだから、この点で言えば寝だめという行為には本来意味がないということになる。

ともかく、寝なかった分はどこかで余計に寝て採算を合わせなければいけない。そういう理屈とどこまで関係があるかは知らないが、十時間は寝たのに目下やや眠い。

2016年1月2日

新年

おぞうに✹

あまり新年めいた気持ちに浸ると復帰が難しくなりそうなので、つとめて平時のごとくしている。などと言いつつ、ゲームに熱中しすぎてすっかり生活時間帯がずれているのだが。

二十四時間暇をしているのだから、早起きをして遊べば同じことなのに、なぜ無意味な夜更かしをしてしまうのか。

今日は Lielackbutter氏と会うので外に出ている。天気が良く、人が少ない。特に人が少ないのが良い。正月だ。