2022年4月25日

卯月廿五日

数日開いてしまったな、と思ったら一週間である。特に忙しかったわけでもないが、相変わらず引越しの件で精神が圧迫されている。

露台の金盞花を摘んだら六輪ほど収穫できた。乾燥させて花弁を取ればサフランの代用になるというが、そういう面倒なことをする気力はない。これまでは伐るなりそのままもしゃもしゃと食べていたが、特別おいしいものではないし、最低限の文化的な食行動を下回る感覚があった。学名 calendula officinalis の officinalis とは薬用植物に付けられる形容詞だそうで、何かしら身体に良いんだろうから、食べておくと得した気分になるという程度の態度である。それにしても六輪はもしゃもしゃ食べるにはさすがに多いから、いっそこれを昼食にしてしまおうと考えた。

そういうわけでたんぽぽの葉も収穫し、ついでに余っていた長芋も切って、天ぷらをこしらえる。巷でよく「山菜の天ぷら」というものを見かけるが、よく考えれば「山菜」というのはいかにも曖昧で、要するに「食べ方に困る植物は、とりあえず天ぷらにしてしまえ」という古来の智恵なのだろうと思う。

衣には卵の代わりにマヨネーズを使う。なぜなら他の材料の分量を卵液の分量に支配されるのが嫌だからである。卵成分を入れなくても衣としては成り立つのだが、練習を兼ねて。

それで金盞花の天ぷらだが、「菊の花の香りも苦味もぼんやりさせたもの」という感想で、個人的には全く嫌ではないが、やはり特別おいしいわけでもない。生で食べるよりは食べやすいし、まだ次々に咲いてくるから、相変わらず「枯らすよりは食べた方が得」という理由でまた作るかもしれない。

長芋に火を通すのは初めてだったが、「甘みの少ないさつま芋」みたいな食感だった。長芋らしいぬめりも多少は残っているので、その点では里芋にも似ている。強いてこのために長芋を買ってくるようなものではないと思った。生で食べたほうが良いだろう。

たんぽぽの葉はまとめてかき揚げにした。パリパリとしてチップスの感覚だった。味はよく分からない。おいしいと言えばおいしいが、ほとんど衣の味のような気がした。生で食べた時の苦味がほとんど消えていて、ここまで特徴がなくなってしまうと却ってつまらない。少し揚げすぎたのかもしれない。

2022年4月18日

卯月十八日

思ったより雨が長引いている。水やりの手間が省けるので、これはこれで助かる。

昨日は退居の件で話が進んだ。七月の半ばまでには家を引き払うことになりそうだ。それまでに転居先を見つけ、物を運ぶなり捨てるなりを済ませねばならない。

そんなことが本当に可能なのか。不安だ。

2022年4月16日

卯月十六日

寝付きが悪かったが、例によって七時半に目が醒め、寝不足と寒さのためしばらく布団の中でうだうだしたのち、空腹を感じて九時ごろ起床。何か軽く朝食を取ろうかと思うも、米を炊いておらず、パンも切らしている。どうせ買い物には行く予定だったから、さっさと出かけてしまうことにする。

路傍にちらほらと杏子色の芥子が咲いている。ナガミヒナゲシという草である様だ。

昨夜ふと魚の竜田揚げが食べたくなったことを思い出し、手ごろな魚を探す。「竜田揚げ用」と書かれた鯖が一尾分で358円。骨を取ってぶつ切りにしてある。他に良さそうなものもないのでこれにした。

家に冷凍のあさりがあるので、スンドゥプというものを作ってみようと思い、韮とぶなしめじも買う。きゃらぶきという物が目に留まり、そういえば名前を知っているだけで食べたことがないと思ってこれも購入。それから鶏胸肉も買っておく。

帰宅し、鯖を漬けだれに漬け、その間にジンジャーコールスローを作る。鯖の水気を拭いて、油で揚げ、トーストに小葱とジンジャーコールスローとともに挟んで食べた。

明日に向けて片付けを進めるつもりだったが、買い物に行って昼食を採ったらどうでも良くなってしまった。あー。

2022年4月15日

卯月十五日

昨夜から思ったより本格的に雨が降っており、そして今日は思ったより本格的に寒い。月曜あたりは半袖で出かけられるくらいだったが、今は暖房を入れようか迷っている。季節の変わり目とは言っても、こんなに極端なものだったろうか。しかし毎年この感想を抱いていた様な気もする。

退居に関して日曜に用事が入った。その前に少しは屋根裏を片付けなくてはならない。いや、片付けなくてはいけないのは以前からなのだが、ずっと先送りにしてきたために、絶望的な状況になっている。

2022年4月14日

卯月十四日

このところ再び肩こりが酷く、朝目が覚めると首の周りが張っている。そのせいか、普通程度に睡眠時間を取っていても、ほぼ一日中寝ぼけた状態になる。それでも毎朝七時半には一応目が覚めるのは、習慣の恐ろしさと言うべきか。

今年はいつまでも寒い日が続くと思っていたら、先週あたりから急に暑くなって、我が屋根裏部屋では時折冷房が必要なほどだ。昨日もずいぶん暖かかったと思うが、打って変わって今朝は肌寒い。ぽつぽつと雨も降っており、そういえば今週は台風が来るとか来ないとかいう話も聞いた。

台風が来るとしたら露台を少し片付けねばならない。昨年の秋から、不織布ポットという物を買って、香草の類を中心に、手間のかからない草花を育てている。ミント、ローズマリー、パセリのほか、道端で採種した蒲公英やら、興味本位で植えてみたボリッジ borago officinalis やらである。前に台風が来たときには、特に何かが吹き飛ばされるということはなかったが、順調に育ちつつあった金蓮花の苗が枯れてしまった。

もっとも、今度の台風で、いっそ枯れるなら何もかも枯らしてしまっても良いかもしれない。というのも、時期はまだはっきりしていないが、そう遠くないうちにこの三鷹の家を引き払わねばならないからだ。

なにしろ半世紀近く住んでいる家だから、多少は愛着もあるはずだが、今のところ自覚される感情は、ただただ引っ越しに伴う準備や整理が面倒だということだけである。

概して何かに対する思い入れというものが少ない。最近「一番思い入れのあるゲーム」を訊かれて答えに窮した。好きなゲームや面白かったゲームなら色々挙げられるが、どれを想起しても、「思い入れ」と言えるほどのこだわりや強い感慨はない。それどころか、昔遊んだものだと、内容も記憶がおぼろげになっている。却って比較的最近に遊んだゲームの方が、印象がまだ薄れていない分、思い入れがまだしも強いと言えるかもしれない。それも今から数年経てばどうなっているか分からない。

昔からこうだっただろうか。そもそも感受性がぼんやりしていて、あまり物事に深い思い入れを持つことがない性格だったのかもしれない。あるいは歳をとるに伴って色々なことが曖昧になったのか。自分のことながらよく分からない。

考えても仕方のないことだ。洗い物をしながらオーブンを温め、馬鈴薯を切って天板に並べる。塩と油を振ってオーブンで焼き、その間に露台のチャイブを収穫した。気づかないうちに小さな葱坊主の蕾を付けていて、咲いたところを見てみたい気もしたが、花が咲くと弱るだろう。

チャイブを刻んで、焼けた馬鈴薯にまぶす。コーヒーを淹れて朝食とする。退居に向けて冷蔵庫の中のものを減らして行かなくてはならないことを思うと、買い物に行くのも一層腰が重く、いい加減な食事が多くなる。ただただ面倒だ。