2013年9月28日

お買い物

ちょっとごたごたしてるので、不断より生活の周期が安定している。なんでだ。

東の方へ用事があったので、帰りしなに新宿のやまやに寄った。やはり慣れた品揃えで安心する。つい余計なものまで買いそうになるので、敢えてカゴを使わないことによって制限を設けた。

ピュアオリーブオイルを1リットル入りペットボトルで買ったが、ひょっとするとこれは近所の店で買った方が安かったかもしれない。

瓶詰めのトマトピューレが案外ほかの店では買えない。ホール缶を開けるほどの量は要らない時など便利なものだが。

2013年9月27日

電気鯨

Twitter で Y氏が『白鯨』を読んでいるのに触発され、死蔵していたのを読み始めた。

語り手イシュマエルというのが、どうやら教師をしているらしい教養人なのだが、気分が憂鬱になってくると船乗りになって海に出るのが常であるという、なんだか訳の分からない人物である。しかも冒頭で文無しであることを宣言している。

教師が文無しになって、ふらっと捕鯨に出かける。やっぱりちょっと変な話なんじゃないだろうか。

読み進めるのが遅いので、漸くエイハブ船長の名前が言及されたところなのだが、港までの道程で宿を共にした蛮族の王子との親密な友情であるとか、元船乗りの説教者による航海用語まじりのヨナ記講話、やたらに個性の突出した二人の船主など、未だ船も出ないうちから不思議に満ちた話で、この先が楽しみだ。

とりあえず僕が噂に聞いて知っているのは、このエイハブ船長というのが、モビー・ディックという鯨にほとんど偏執的な怨恨を抱いており、それが物語の中心となって行くらしい、ということであって、その中で語り手がどういう立場を取るのか、そしてどの様な結末を迎えるのか全く知らない。聞いたことがある気もするが忘れた。

ついに仕留めたモビー・ディックが実は電気仕掛けのロボット鯨で、相討ちになったエイハブ船長も、記憶を移植された精巧なアンドロイドであった、というのはどうか。

それは違うほうのディックである。

2013年9月9日

秘祭: day 3 of 3,《還啓》

最高の夏に、四色芋かりんとうを作る。

八月忘日月曜、十一時の秋葉原集合に先立ち、早目に起床してさつまいもを揚げはじめた。せめての賑やかしに、香り付けを増やすことを考える。一つは普通どおり砂糖のみ、一つは黒ごま、一つはシナモン、そして一つは少し塩を加えて青のりを振ることにした。

先ずは無色のものを作ってみる。自分用ならこだわらないところだが、今回は水分を飛ばし過ぎて砂糖が霜状になることを避けた。と言って火を止めるのが早すぎると水飴の様になってしまう。久しぶりのせいか慮外に難しい。

シナモン入りは苦みが出てしまった。加える量のせいか、あるいは入れるタイミングが早過ぎたせいかもしれない。また全体としては、用いる芋の種類にも考察の余地がある。諸々の反省を得つつ、包装しようと思ったら、適当な袋を買い忘れていた。色々考えた末、フリーザーパックに入れるより他にないと結論する。いかにも不調法だ。

結局秋葉原には二十分遅れで到着、その後十分ほどして N氏、S氏と連絡がつき、ブックオフにて合流。両氏が棚から本を手に取っては色々の意見を交換するのをぼんやり聞いていた。みんな随分本を読んでいる。僕の会う人には、全く本を読まない人か、僕には想像のつかないペースで本を読んでいる人しかいない。

岩波文庫の『閑吟集』だけ買うことにする。それぞれ会計を済ませてブックオフを辞すると、S氏が徐に

「豚野郎でいいですか」

と口走る。

人を裁く立場に無い、と思ったが、近辺に「野郎ラーメン」という店があり、そこのチャーシューメンを指す語であるらしい。N氏に判断を委ね、諾ということで、豚野郎の一行となる。

四つ辻に建った小さな店の入り口に、いかにも不釣り合いな巨大さの券売機が設置されていた。タッチパネルつきだから、かなり新しい型のものであると思う。インターフェイスに些か戸惑いつつ、なんとか食券を得ると、券売機の隣に立っていた女性店員が
「こちらで預からせて頂きます」
と言う。促されるまま食券を手渡すと、
「51番でお呼び致します」
と言って、銭湯のロッカーで見た様な番号札を代わりに差し出された。

二階の座敷席に落ち着いてから、
「券売機が発行する食券を、券売機の隣で待機している店員が回収し、客に番号札を渡すことによってオーダー管理を行うのであれば、それは初めから店員が直接注文を取ることと何が違うのか、大掛かりな券売機を介在させる意味はどこに存するのか」
という点について一通りの疑問を整理するが、特に結論は出ず。

「お呼びしますって言ってましたよね。ってことは下まで取りに行くんでしょうか」
「うーん、そういう話なんじゃないかなあ」
「でもそこから出るっぽくないっすか?」
「棚に並んでる漫画のチョイスも不思議だなあ。こっち側の漫画は『中国嫁日記』しか知らない……」
「そして『さんかれあ』がなぜか第二巻だけある」
「壁にあるこのアイドルのサインって、どれくらいのアイドルになったら書くことが許されるんでしょう」
「お前のファン数は…… 1948人か。その程度ではこの壁にサインさせるわけにはいかんな。ファンの数が 2000人になったらもう一度ここに来るがいい!」
「〈ファン数 1999人…… もう一人でサインできるのに!〉〈何を言っているんだ、お前らのファンならもう一人ここにいるぞ!〉〈店長!!〉」
「その展開はアツい」

そんなことを言っている内、特に呼び出されることもなく品が運ばれて来た。

所謂「二郎系」に分類されるそうで、ごつごつした太い麺と、こってりした味付けが特徴的だった。汁なしラーメンを頼んだのだが、サイコロ状に切られたチャーシューがおいしい。しかし並み盛りでもかなり量が多く、一体麺だけで何グラムあるんだろうと余計なことを考える。

S氏は一口食べるなり、
「お野菜に味がついてる!」
と歓呼していた。ラーメンを食べる人の感動のポイントが分からない。

食べ終えた後は水樹奈々のプロフェッショナルな姿勢などについて話し合いつつ休憩、それから店を出て、丁度向かいにある「まんだらけ」に入る。ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、プレステ、サターン、ドリームキャストなどのソフトを眺め、思い付いたことを語る。メガドライブとPCエンジンについてはほぼ触れられなかったことを付言しておく。

しばらく見て回ってから表へ出る。これからどうするのか問うと、S氏が
「えっちなゲーム屋さんに行きます!」
と言い切ったので、えっちなゲーム屋さんに向かった。

店内では N氏が時おり棚のソフトを手に取っては、その長所や短所、思い入れを語ってくれた。淡々としていながら、滑らかに筋道立った語り口で、日頃から作品を丹念に読み込み、評価をよく整理していることが窺われる。

僕の痙攣じみた発話とは大違いであった。

えっちでないゲームも見つつ、四時頃に再び表へ。五時には秋葉原を出て空港へ向かう予定なので、小一時間ほど持て余すこととなった。
「どこか座れるとこに入りましょうか。それこそカラオケでも」
という N氏のイニシアティヴにより、駅近くのカラオケ店へ。

S氏とカラオケに入るのは二度目だったが、今回も特撮ソングを絶唱していた。すごい声量だと思う。シャウトしても喉を痛めないのは、正しい発声が出来ているのだろう。

N氏が「暗闇坂むささび変化」を歌うので、僕もうろ覚えの上声部でももんがーももんがーと言ってみたが、ほとんど妨害であった。うろ覚え過ぎる。

歌は良いですね。

一時間後退出。羽田へはモノレールで行くことにし、先ずは乗り換え地点の浜松町に向かう。

電車内にて、S氏が
「モノレールいいですね。俺好きなんですよモノレール」
と言うので、
「そうなの?」
と訊いたら、
「いえ別に…… 会話の糸口を作ろうと思って言ったんだけど、広がりませんでした」
とのこと。酷すぎると思ったし、酷すぎると思う。

これを受けての N氏の談話。

「Mさんと札幌にあるメイドカフェに行ったら、メイドさんが
〈ゲームとか好きなんですか?〉
って言うんです。はい、って答えたら、
〈そうですか! 私は好きじゃないです!〉
見たことない話術でしたね……」

接客業とは一体、と思うが、そういうにべもない扱いを受けるのが好きそうな知人にも心当たりがあるので、一種のサービスなのかも知れない。

「オムライスにケチャップで何か書きますかー?」
「あ、はい」
「そうですかー。こちらのケチャップでどうぞ」

浜松町にてモノレールに乗り込む。モノレールというものに乗るのも久しぶりだな、というくらいの気持ちだったが、車内の様子や窓外の景色、それに動き始めてからの乗り心地も普通の列車とは大いに違い、俄に楽しくなって来た。

「うわあ、モノレールにして正解だったかもね! ……Sさん、僕モノレール好きなんですよ」
「ええ…… そうなんですか?」
「別に」
「俺が悪かったです……」
「この争いは悲しみしか生まない」

ビルの合間に海が見え始め、やがて天空橋駅に近づいて来た。

「天空橋という名前が良いよね。こう、雲と雲の間に橋が架かってる感じがする」
「メタルのジャケみたいですね。でも地下駅なんですよね……」
「京急のホームは壁を青く塗って天空感を出してましたよ」
「天空じゃない、って言って泣く子供を親がなだめるのに使ってそう」
「〈青いんだから天空でしょ!〉〈そうかー〉」
「十年くらい経ってから、騙されてたことに気づくパターンだね」
「〈そうは言っても天空ではないのでは……?〉」

空港で Y氏と合流して夕餉の予定になっている。第二ビルにて発券の手続きを終え、しばし到着を待つ間に、N氏に朝の芋かりんとうを押し付ける様にして渡す。

人に物をあげるというのもまたエゴなのである。

そうこうする間にブラックメタル提督 Y氏が到来。食事を取る場所を探して空港内を彷徨い、各国料理の店が屋台風に並ぶ一角を見出す。どうやら適宜、好きな店から好きな物を買って、テラスに席を占めれば良いらしいので、まずは椅子に荷物をおろし、一通り眺めてみることにする。しかし正直なところが昼食の余波であまり空腹を感じていなかった。

と、アナライより連絡が来る。仕事帰りで羽田に来ているらしい。しばらくして合流。

N氏も僕と同じくあまりお腹が減っていなかった様子で、色々見て回るもなかなか結論が出ない。ドネル・ケバブの肉を薄い生地で包んだものを買い、二人で分けることを提案。少なければまた買い足せば良い、と話がまとまる。

近年東京では頓にその数が増え、いつの間にか馴染み深くなったドネル・ケバブだが、札幌には未だ進出していないそうだ。

Y氏の参加によって場のパワーバランスは一気にメタルへ傾く。

「ブラックメタルって、俺10枚くらい聴いたんですけど…… あんま違いが分かんなくて」
「1,000枚聴け!!」

インテリジェント・スラッシュのインテリジェントさ、スコーピオンズの空耳などについて有意義な議論を交わすうち、出発時間が迫って来た。行けるところまで行って N氏を見送る。

S氏が
「行ってしまわれる……」
と呟いた。

振り返るに N氏はどんな話題に対しても反応が素早く、しかも落ち着いて淀みない話しぶりだった。

ああいう話し方ができればと思うが、性格の問題で明らかに無理だ。

宴の後の侘しさを抱えつつ帰路に就く。Y氏およびアナライとは途中まで同道。『ANUBIS Z.O.E.』の話などした。

Y氏と別れた後、どこだったかの駅まで来たところで、アナライが
「そうだ、思い出したんだが、寄ってみたい店がある」
と言い出す。相変わらず唐突だが、気分としては丁度良かったので下車。ガード下の串焼き屋にて小さな卓を挟み、ぼんじり、軟骨、レバー、ハツ、ししとうとビールを頼む。

そう言えば「ゴジラ」を散在的にしか観ていないので、どれを観るのが良いか、アナライに訊ねてみることにする。
「平成ゴジラは?」
「スペースゴジラ以外全部」
「じゃあ昭和のは?」
「54年ゴジラを10回観ろ」
大変明解な答えだった。

二回目の串焼きを注文したところ「かなり時間掛かってしまいますが」と言われたのを潮にして店を出る。その後のことはもう忘れてしまったが、ごく普通にして帰宅したのであろうことが現在の状況から推察せられる。

2013年8月30日

秘祭: day 2 of 3,《供犠》

日曜。午後六時ごろ新宿東口にて集合、歌舞伎町の「めだか」にて総勢八名の宴となる。

蒲田の漫画喫茶にて夜を越した S氏、N氏に、どうでしたかと訊ねると、「最低でした」との答えだった。仮眠を取るのにはあまり向かない構造であったらしい。

一方、徹夜後に早朝の散歩へと出た Y氏はというと、皇居の辺りを歩いた後、電車内で二時間ほど睡眠を取ったくらいで、そのまま昼餐会にも参加していたそうだ。人々の体力に驚く。

店に入り、エレベーターにて重量超過など引き起こしつつ、三階に席を占める。頭上の棚に荷物を上げたところ、他の参加者から口々に
「棚があったのか」
と言われた。池袋に「小池」という店があり、この「めだか」の系列店と思しいが、同じく席の上に荷置棚を吊ってある造りであった。考えてみれば奇抜なのかもしれない。

乾杯の儀が執り行われるが、改まった自己紹介などはなく、僕は一応誰が誰であるか把握していたのだが、左隣に座っていた Ntk氏は、また二つ左隣の S氏に、
「今日、千田さんはいらしてないんですか?」
と訊ねていた。中々のカオスである。

この日は漸くにして N氏とアナライの物語談義を設けられたのであり、成すべきことが成されたという観がある。尤も、僕は多少席が離れていたため、詳細は全く聴き取れなかったのが惜しまれる。なにしろお酒が入ると全く耳が遠くなるのでいけない。

離れた席で酔っぱらってなにをしていたかと言うと、流石に少し疲れ気味の Y氏に、「蕎麦とうどんはどちらが SF であるか」などの取り留めのない質問を投げかけて苛んでいた。隣になった M氏からは「ようかんは SF でしょう」との意見が出たが、それはクラーク=クーブリックのお墨付きであるから、反則である。

善きところで解散。翌日は十一時に秋葉原集合であるらしいことをぼんやりと聞く。

2013年8月27日

秘祭: day 1 of 3,《降臨》

土曜、予期していたより早くに所用を終え、北海道からN氏を迎えるべく羽田に向かう。国内線ターミナル駅にてS氏、Y氏と合流、「出会いのひろば」にて飛行機を待つという出会い厨行為に及び、午前一時ごろN氏との初対面を遂げた。

僕一人が夕食を摂っていなかったので、独断専行してターミナル間バスに乗り込み国際線ビルへ。国内線ビルの店舗はあらかた閉まっていたのだが、国際線の方は長旅の客や時差に配慮してどこか開けているだろう、との情報に従ったものである。

果たして食堂めいたものが開いていたが、どちらかと言えばタクシーで蒲田へ出てしまった方が良くはないか、とのY氏の意見があったので、これに雷同し、タクシー乗り場へと向かう。

N氏も東京に降り立ったと思うや空港内をあちこち引きずり回されて難儀だったろうと思う。実に申し訳ない。

四人してタクシーに乗り、蒲田駅へ遣ってもらう。思いのほか早く到着し、運賃は二千五百円であったか。なお、事前にネットで検索した国内線ビルからの運賃は六千円弱だったのだが、あの数字は一体なんだったのかと、些か呆然とした。

漫画喫茶かファミレスの類で始発まで時間を潰す、という兼ねての計画に従い、店を求めてさまよい始めるが、如何せん飲み屋ばかりが並んでおり、なかなかファミレスが見つからない。近辺の地図を検索すると、ジョナサンとクイックガストがあることが判明した。

この二者ならばジョナサンだろう、とS氏が言うのに対して、「クイックガストというのはどういうものか見てみたい」と強固に主張し、駅方向へ少し戻って店構えを確認した。なるほど長居する環境ではない、と納得し、踵を返してジョナサンに向かう。

N氏も漸く市街部に到ったと思うや深夜の商店街をあちこち引きずり回されて難儀だったろうと思う。実に申し訳ない。

ジョナサンにて、僕は「タンドリーチキンとメキシカンピラフ」なるメニューを取り、N氏、S氏がドリンクバーを頼む。Y氏はと言うと、
「ここはやはり…… 飲酒でしょう」
との力強い言葉と共にビールを注文していた。さすがと言うほかない。

僕もビールを頼みました。

ちなみに、「タンドリーチキンとメキシカンピラフ」については、なかなかおいしかったことを報告しておく。しかしチキンの味が濃いところに、ピラフにもかなりしっかり味付けがされており、その時の気分からすると少しくど過ぎた。あるいは、タンドリーチキンから、サフランライスの様なものを連想してしまっていたための不協和であったかもしれない。

つまり、総じておいしかったのではないか、という気がする。これを以て、改めて僕の味覚が当てにならないことの参考とせられたい。

その後は午前五時頃まで歓談。N氏とS氏がドリンクバーをおかわりする横で、Y氏と僕は
「ゴミワインおいしい!」
「ゴミワインおいしい!」
と190円のワインで杯を重ねていた。ひどい言い草だと思う。

交通機関が動き始めたということで店を出て、Y氏と僕は蒲田駅へ。明けての昼餐会が新宿にて執り行われる予定と聞いてはいたが、体調を整えるため一旦帰宅させて貰うことにした。N氏はカプセルホテルに一泊の予定を入れているが、チェックインがまだ先なので、とりあえず、商店街に見出された、やや胡乱な漫画喫茶にて休息を取るとの由。S氏もそれに付き添うというので、ここで一旦分かれる運びとなる。

蒲田にて列車に乗り込むと、やおらY氏が
「朝の東京を散策したくなりました。ですので、ビビッと来たところで降りて歩きます」
と宣言した。夜を徹した後で、壮健なことだなあ、と感心する一方、なんか発想がアナライのやつに近いぞ、とも思われ、複雑な気分になる。

結局Y氏は有楽町にて下車。その後は僕一人であるから、ただ黙々と電車を乗り過ごして無事帰宅したまでで、取り立てて書くべきことはない。

2013年7月15日

鮎の簗漁

テレビで鮎の簗漁が映っていた。

簗。

いつ、どこでのことかは忘れたが、簗に掛かった鮎の稚魚を拾い上げたのを覚えている。
ぬめりのある体が滑り落ちぬよう、両手で生卵を掴む様にそっと捕えていた様に思うが、そう細かい点ばかり記憶しているのは却って胡乱で、後から想像で補われたものだろう。考えてみれば、自分の手で掴んでいたものか、人が掴んでいるのを見せてもらっただけか、そこからしておぼつかない。

それからどうしたのか。柳葉魚の様に小さな稚魚であったから、河に戻してやったのだったか。口をぱくぱくと動かしている様が愛らしいと思ったものだが、水から引き離されて呼吸に喘いでいたのかも知れない。

多かれ少なかれ、その様な事実があったのは確かで、全てが空想による偽りの記憶ということはないと言える。しかしなにしろ河の名前から曖昧であるから、その時の簗が今でも同じ場所にあるものかどうかなどは、河に戻した鮎がその後どんな死を迎えたかと同じく、知り様もなく、また知ったところでどうにもならない。

2013年5月10日

ARASHI

これが最近はやりのブログというものか……

註解つきのシェイクスピアとして定番らしい、Arden の『テンペスト』がブックオフにあったので、この機会にと思って読んでいる。

大体が劇というものは舞台で観るものであって、本で読むものでは本来ない。そういうことを特にどこで感じるかというと、本で読んでいると、登場人物の誰が誰やら、直ぐに分からなくなる点に於いてである。

舞台では顔や衣装や声で区別のつくものを、本で読もうとすると、台詞と名前の文字情報だけで整理せねばならないのだから、やはりそこは難しくなってしまうのではないか。

あるいは単に僕の記憶力が悪いだけかもしれない。そういうこともある。

以下は読書メモみたいなものだ。第一幕二場にして、既に解釈に悩む箇所に行き当たった。

http://shakespeare.about.com/od/thetempest/a/Magic-in-The-Tempest.htm

これなどはアカデミックな経歴を持つ人による解説らしいのだが、
Caliban is not considered by Prospero or Miranda to be human: “…A freckled whelp, hag-born – not honored with human shape” (Act 1, Scene 2)

カリバンはプロスペローからもミランダからも人間と思われていない。「…
人の形に与らぬ、魔女から生まれた、しみだらけの犬ころ」(第一幕二場)
とある。しかし、ここで根拠に引かれているプロスペローの台詞を、もうすこし前から引用すると、次の通りである。
[…] Then was this island--
Save for the son that she did litter here,
A freckled whelp, hag-born--not honour'd with
A human shape.
もし、上の解釈のごとく、"not honor'd with human shape" が "a freckled whelp" を修飾しているものだとしたら、一行目 "Then was this island" の was は何を主語とし、何を補語としているのか。

やはりネットで見つけた、ある現代英語との対訳では、this を指示代名詞と捉えて、これを主語とし、続く island を補語としていた。普通の語順に直すならば "Then this was island" というわけだ。しかしそれなら an island と冠詞が要るだろうし、そもそも「それからこれは島であった」というのは意味が通らない。それからもなにも、もともと島である。

つまり this と island を切り分けるのには無理があり、this island「この島」が was の主語であるのは確定していると言って良い。では補語は?

補語を取らない be の用法で、「存在する」の意味で使われている、という解釈をするならば、「そうしてこの島があった」ということになるだろう。だがこれも上と同じく、ここで語られているエピソードの以前から島は存在していたのだから、話がおかしくなる。

this island was a whelp「この島は犬ころであった」も、this island was hag-born「この島は魔女が産んだ」も意味が通らない。やはり、間に長い挿入を経つつ、this island was not honor'd と受動態を作っていると考えるよりほかにないのではないか。

この考えに基づいて、幾らか省きつつ引用部をパラフレーズすると、およそ次の様になるだろう。
Then this island was not honoured with any human shape, save for (that of) the son she bore here (=Caliban).

「その後、この島は人影を得るの光栄に浴していなかった。かの魔女がここで産んだ息子(カリバン)を除いては」
噛み砕けば「カリバン以外に人影は島から絶えた」と言っているわけで、「カリバン以外に」とプロスペローがわざわざ断っているのは、どちらかと言えばむしろ、プロスペローがカリバンを一応は人間に数えていることの証左になるのではあるまいか。

もっとも、わざわざ "human shape" と言っているのは、カリバンが姿の点で人間であるに過ぎないというプロスペローの評価を示唆しているのだ、とも考えられるかも知れないし、またそのいづれも深読みのし過ぎとも思える。

結局、色んな人が色んなことを言うので、僕にはよく分からん、という、いつも通りの無責任なところに帰着するのであった。