2011年10月17日

助任

近所の魚屋を通りかかると、スッポンが売られていたり、シイラが丸一尾売られていたり、珍しいものが出ていることがあって中々飽きない。これは左程珍しくもないかも知れないが、先日はスケトウダラが店先に寝そべっていた。

スケトウダラかスケソウダラか、ということについては、魚類学者の末広恭雄が、「スケトウダラという学術上の本名が、スケソウダラというふうにまちがえて呼ばれるようになってしまったのは残念である」と自著の中で述べているそうだ。孫引きなので前後は分からないが、これはどの程度まで信頼して良いものか。

学術上の正式名称が「スケトウダラ」と決められているのは事実であるけれども、スケソウダラという呼称がここから「まちがえて」生まれたものかというと、それぞれの呼び方がいつ頃から行われているものか、辿れる限りの記録を辿ってみないことには何とも言えない様に思う。

もっとも、スケトウダラが正式名称と定められた後になってから、これが伝播していく内、どこかで転訛を経てスケソウダラの名が生まれたのだと仮にしても、それが残念がるべきほどのことであるか、僕にはよく分からないのだが。

2011年10月13日

香りの支払い

うなぎ屋の隣に住む吝嗇な男が、その香りで飯を食べていると、ある時うなぎ屋から「匂いの嗅ぎ代」を請求された。そこで小銭を取り出してチャラチャラと音を立て、「匂いだけ貰ったのだから、音だけ支払えば良かろう」と答えた。

……ちくま文庫『桂米朝コレクション4』を読んでいると、「しまつの極意」という落語に、そんな筋の小咄が組み込まれていた。これは『落噺大御世話』という十八世紀末の噺本にも「蒲焼」という題で採録されている、と聞いてはいるが、実際に見たわけではないので知らない。色々なところで引かれる話だという気はする。

妙なのは、これをイタリア語でも読んだことがあるというところだ。先日の「雨月」の一件で、記憶の頼りにならないことには懲りたので、今回は書く前に検索してある。十三世紀末に成立したとされる作者不明の説話集、"Il Novellino" の第九段がそれであった。

http://scrineum.unipv.it/wight/novellino.htm#9

ルーマニアのアレクサンドリアに住むサラセン人同士の間で起こった係争を、スルタンが裁いたもの、ということになっている。他にもトルコではナスレッディン・ホジャという、しばしば頓知話の主人公になる人物の逸話の一つとして、これと同様の話が数えられている様だ。そちらはいつ頃からある話か知らない。

日本へはやはりどこか海外から入って来たのであろうけれども、果たしてどの様な道を経て来たものか。

たとえば落語の「饅頭こわい」などは、中国の『笑府』に収められている小咄が原形となっている。或いはこの「蒲焼」も、中国に類話があったものかも知れず、そこから日本へ入ったのかも分からない。

しかし、幕末にして既に、西洋から題材を輸入していた作家もあった……と、どこかで聞いた様な覚えがうっすらとある。誠に不確かな記憶であるが、ともあれ西洋から直にこの話が日本へ伝わったというのも、強ち無いこととは言えないだろう。

この様なことは真面目に研究している人もある筈だが、思い出したついででいい加減なことを書いておく。

2011年10月11日

Achthundertdreiundneunzig

武器屋の前を通りかかった、と言うと何か悪い冗談の様だが、よく通る道に刀剣を扱っている店があるので、全く文字通りの話だ。

それで武器屋の前を通りかかったのだが、いつもは見ない張り紙がしてある。何かと思って歩き過ぎながら目を遣ると、「警察署の指導により、暴力団関係の荷物預かりはお断りしております」とか、なにかそういう旨のことが書いてあった。

何の事やらよく分からないけれども、最近になってこの張り紙をする様になったということは、警察署から指導が来る以前には暴力団関係の荷物を預かる様な場面がしばしばあったということなのだろうか。

或いは……いや、やはりよく分からない。ともかくあまり穏やかな感じはしない話である。

2011年10月9日

雨暈

雨が降って来た。

昨日、傘立てのことを書きながら思い出していたのだが、どこかの駅に共用の傘というのがずらりと置かれているのを見たことがある。急に雨に降られた日など、手元に傘がない場合には、これを勝手に持って行って宜しい、但し後で都合の良い時に返してくれる様、という仕組みである。確か「駅のおたがい傘(さん)」などと称していた。

どこであったかというと、一時期盛んに使っていた駅で、しかしその時期が過ぎるとすっかり縁遠くなったところであるから、そう考えると恐らく下北沢かどこかではなかったかと推理される。然かとは覚えていない。

これを初めて見た時、江戸時代に同様のことが行われていたという記録をどこかで読んだことが想い起こされ、その時にはどこで読んだかもはっきりしていた様に思うのだが、今では確信がない。ただ、江戸時代の文章で僕が読んだことがあるものなどは数が知れているし、『雨月物語』だろうと見当はつく。

『雨月物語』に傘の話があったのは確かで、例によって怪異譚なのだが、その導入に、共用の傘の風習がどこかの地域のこととして語られていた記憶がぼんやりとある。誰も盗む奴などはいないので偉いものだ、くらいの事も書かれていた気がする。

「雨月」なら先日上野に寄ったついでで古書店で買ったはずで、従って部屋のどこかにはあるに違いないのだが、どこへ積み上げたものやら分からなくなってしまった。そう深くは埋もれていないものと思う。

また、よくよく考えてみればネットで検索しても良いことであって、あらすじくらいは Wikipedia にもあるだろうし、どこかに要約か、もしかすると原文も置かれているのではないか。

しかしそうこう書いている内に雨も止んだ様子だ。一先ずここまでとしておこう。

(追記:Twitter で、『雨月物語』にそんな箇所はない、というご指摘を頂いた。そうなるといよいよどこで読んだものやら皆目見当が付かない……と思う内に、どういう話であったか少し思い出したので検索してみたところ、どうやら『西鶴諸国ばなし』であったらしいことが分かった。しかし、『西鶴諸国ばなし』を読んだ、というはっきりした記憶がない。なにかと併録で一冊に収まっていたものだろうか。そうだとしたらもう一本は恐らく『男色大鑑』だろう)

2011年10月8日

雨傘

唐傘も和傘も同じものを指すらしく、日本の歴史に洋傘というものが現れたせいだろうか、なにしろ紛らわしい話である。

かつては傘の一字でもカラカサと読めたそうで、というか現にカラカサで変換してみると「傘」と出るのだが、これは日本語でカサと言えば元来、頭にかぶる笠の方を指した為であろうか。

単にカサと言うと蝙蝠傘のことを指すのが普通になってから、ああいうものが西洋から入って来る前に日本にあった傘、というので、洋傘に対して「和傘」という言葉がいつ頃か発生したのだろうと憶測する。手元の大辞泉を引いても和傘という語は載っておらず、ことえり4.1も変換してくれないので、そう古い言葉ではないのかも知れない。iPhone の辞書には登録されていた。

大学院のころ、伊文学の先輩に、雨の日には唐傘をさして歩いている人がいた。唐傘にも色々あるそうで、それが蛇の目だったか番傘だったか、そもそも番傘と京和傘というのが別か同じか、はたまたこれらの語は分類の仕方が違うものかも知らないのだが、ともかく今どき物珍しく、しかし見せびらかす素振りも無くて粋に思えたものであった。

どこで買ったものか尋ねた覚えがあるが、さてその答えは忘れてしまった。そうして値段までは気になりながらも何となく訊き逸れ、いま Google で通販を調べてみると、立派な専門店の物は凡そ一万円から、どうかすると四、五万円の物まである様だ。もっともこれは洋傘でもそれくらいの品はあるのかも分からない。しかし、土産物屋で売っている様な和傘は飽くまで飾りで実用には耐えない、などと脅す様なことも書いてあって、何とも難しい。

ところで僕は自転車に乗らないので分からないが、夜間自転車に乗っていると往々職務質問を受けるそうだ。同居人の言うところでは、所謂ママチャリに乗っていると特にそれが多いそうで、もう少し良い自転車に乗っていると格段に声を掛けられにくくなるという。

どういうことかというと、つまり盗難自転車にはママチャリの類が多いということであり、即ち誰かが自転車を盗む時には大抵ママチャリを盗むということだ。思うに、この心理は雨の日に店の前の傘立てから他人の傘を盗む際にも働いているのでは無かろうか。あれは単に勘違いで持って行ってしまっていることも多々あるかと思うが、意図して他人の傘でも持って行ってしまえという時には、やはり何となく、どこでも売っている透明なビニール傘を選ぶのではないだろうか。

足がつきにくいからそうするというより、特徴の無い、いづれも同じ様な傘の方が罪悪感が薄いのではないかと想像するけれども、人に尋ねたわけでもなし、実際の機微は判じ兼ねる。なんにせよ透明なビニール傘を盗んだところが本来の持ち主にとっては親の形見であったとか、そんな危険が少ないことは確かである。

無論、そこを遠慮したからといって褒められたものでは無いのであって、高々数百円とは言えど人の物を盗っているには違いないのだから、物盗りであり早い話が泥棒である。この様な泥棒が白昼堂々……雨の日を白昼と言えるのか知らないし、夜に行えば良いというものでもないのだが、ともかく大手を振って……傘を持っていたら大手は振れないか知らないが、なんにせよ良くある話で済まされているのは、物を盗んでいるという認識が希薄な気がしてならない。

しかもあれは大抵ちょうど入り用の時に盗む物で、概ね同じ時に同じ雨の降っている場所に居るのだから、盗まれる方にとってもちょうど入り用の時に盗まれる羽目に陥るので大いに難儀する。出掛かった店に傘が売っていれば入り直して買うか、或いは傘を盗まれて困るし忌々しいしの腹立ち紛れに、一つ傘立てから他の奴のを盗んでやろう、などというどうにもおかしな仕儀になって来る。

その場で買えば済む話と言ったらそれはそうで、自転車を盗むのに比べたら随分ましと言えないことはないが、まあ五十歩百歩と言ったところではあるまいか。少なくとも、傘立てから人の傘を窃盗する者は、万引き犯のことを兎や角言える身分ではないと思う。買えない訳でもないものを盗んでいるという点に於いては大差のないことだ。

なんの話であったか。そう、院の先輩の唐傘だ。この文を書きながらあれこれ考えていて、ふとその先輩の名前が思い出せないことに気が付いた。姿も声もはっきり覚えている、どんな話をしたかまで幾らかは記憶にあるのに、どうしても名前が出て来ない。なにか、橋を渡り終えて振り向くとただ渓間の暗い淵が果てしなく広がっているかの様な、薄寒い感じがする。

いやこういうものは今忘れていても、後になってみるとなんの苦労も無くスッと出て来たりするものだ、と内心にごまかしながら書き進めている内、拍子で一文字だけ思い出した。そこから、そういえばあの音楽家と同じ苗字であったと連想が働き、しかしその音楽家の名前が思い出せないので先ずはこちらの作品名を検索して、それで漸く判明したことはしたものの、こういうのは思い出した内に入らないかも知れない。

二日より後のことは考えられない、二日より前のことは覚えていない、などと常から嘯いているけれども、これは半ばまで実感である。つまらない様な事に限っていつまでも忘れずにいたりするので、知人からは良くぞそういうことを覚えていると間々驚かれるのだが、実際はもう数年前のことなど霧がかかった様に茫々としていて、自分がどこに居たのやらも分からない始末だ。

深く残らぬ先から洗い流されて行く様な記憶はまだしも、当たり前に覚えていたことがらさえ、久しい折に触れて思い出そうとしてみると、いつの間にやら掻き消されてしまっている。ただもう雨の中の足跡の様に頼りない。

2011年10月6日

詭弁家の道は遠くして

一見して明らかなほどに飛躍した話というのは、愚かな戯言として一蹴してしまうのは簡単で、また大抵そうしてしまっても構わないのだが、うっかり理路を立てて反論しようなどとすると、却って相手の珍妙なロジックの中で道を見失い易い。

これは今日 Twitter で犯した失敗の反省であって、そもそも問題となったのは偶然目にした次の様な発言である。
「ラーメンを食べている人は、ラーメンを食べたいなどと言わない。同様に、死ぬ気がある人は、死にたいなどと言わないはずだ」
なにが「同様に」なんだという話であって、破綻しているのは明らかだ。この様にどこまでも脆弱な詭弁が相手である場合、色々な反論の手順が考えられる。

詳細は省くが、これに対して人の行っていた反論のうち一つに、理路の不備がある様に思われてつい横槍を入れてしまったが、後からよくよく考えてみれば別段不備はなく、僕の方の誤読と視野狭窄であった、という話だ。

僕自身が特定の手法に拘り過ぎていた、また直感に反する論理を正しく追えなかった、というのが最大の問題で、誠に情けないことであった。

詳細を省いたらなんだか分からない記事になったが、まあ、それで良いのだろう。