2011年10月13日

香りの支払い

うなぎ屋の隣に住む吝嗇な男が、その香りで飯を食べていると、ある時うなぎ屋から「匂いの嗅ぎ代」を請求された。そこで小銭を取り出してチャラチャラと音を立て、「匂いだけ貰ったのだから、音だけ支払えば良かろう」と答えた。

……ちくま文庫『桂米朝コレクション4』を読んでいると、「しまつの極意」という落語に、そんな筋の小咄が組み込まれていた。これは『落噺大御世話』という十八世紀末の噺本にも「蒲焼」という題で採録されている、と聞いてはいるが、実際に見たわけではないので知らない。色々なところで引かれる話だという気はする。

妙なのは、これをイタリア語でも読んだことがあるというところだ。先日の「雨月」の一件で、記憶の頼りにならないことには懲りたので、今回は書く前に検索してある。十三世紀末に成立したとされる作者不明の説話集、"Il Novellino" の第九段がそれであった。

http://scrineum.unipv.it/wight/novellino.htm#9

ルーマニアのアレクサンドリアに住むサラセン人同士の間で起こった係争を、スルタンが裁いたもの、ということになっている。他にもトルコではナスレッディン・ホジャという、しばしば頓知話の主人公になる人物の逸話の一つとして、これと同様の話が数えられている様だ。そちらはいつ頃からある話か知らない。

日本へはやはりどこか海外から入って来たのであろうけれども、果たしてどの様な道を経て来たものか。

たとえば落語の「饅頭こわい」などは、中国の『笑府』に収められている小咄が原形となっている。或いはこの「蒲焼」も、中国に類話があったものかも知れず、そこから日本へ入ったのかも分からない。

しかし、幕末にして既に、西洋から題材を輸入していた作家もあった……と、どこかで聞いた様な覚えがうっすらとある。誠に不確かな記憶であるが、ともあれ西洋から直にこの話が日本へ伝わったというのも、強ち無いこととは言えないだろう。

この様なことは真面目に研究している人もある筈だが、思い出したついででいい加減なことを書いておく。

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