2022年4月14日

卯月十四日

このところ再び肩こりが酷く、朝目が覚めると首の周りが張っている。そのせいか、普通程度に睡眠時間を取っていても、ほぼ一日中寝ぼけた状態になる。それでも毎朝七時半には一応目が覚めるのは、習慣の恐ろしさと言うべきか。

今年はいつまでも寒い日が続くと思っていたら、先週あたりから急に暑くなって、我が屋根裏部屋では時折冷房が必要なほどだ。昨日もずいぶん暖かかったと思うが、打って変わって今朝は肌寒い。ぽつぽつと雨も降っており、そういえば今週は台風が来るとか来ないとかいう話も聞いた。

台風が来るとしたら露台を少し片付けねばならない。昨年の秋から、不織布ポットという物を買って、香草の類を中心に、手間のかからない草花を育てている。ミント、ローズマリー、パセリのほか、道端で採種した蒲公英やら、興味本位で植えてみたボリッジ borago officinalis やらである。前に台風が来たときには、特に何かが吹き飛ばされるということはなかったが、順調に育ちつつあった金蓮花の苗が枯れてしまった。

もっとも、今度の台風で、いっそ枯れるなら何もかも枯らしてしまっても良いかもしれない。というのも、時期はまだはっきりしていないが、そう遠くないうちにこの三鷹の家を引き払わねばならないからだ。

なにしろ半世紀近く住んでいる家だから、多少は愛着もあるはずだが、今のところ自覚される感情は、ただただ引っ越しに伴う準備や整理が面倒だということだけである。

概して何かに対する思い入れというものが少ない。最近「一番思い入れのあるゲーム」を訊かれて答えに窮した。好きなゲームや面白かったゲームなら色々挙げられるが、どれを想起しても、「思い入れ」と言えるほどのこだわりや強い感慨はない。それどころか、昔遊んだものだと、内容も記憶がおぼろげになっている。却って比較的最近に遊んだゲームの方が、印象がまだ薄れていない分、思い入れがまだしも強いと言えるかもしれない。それも今から数年経てばどうなっているか分からない。

昔からこうだっただろうか。そもそも感受性がぼんやりしていて、あまり物事に深い思い入れを持つことがない性格だったのかもしれない。あるいは歳をとるに伴って色々なことが曖昧になったのか。自分のことながらよく分からない。

考えても仕方のないことだ。洗い物をしながらオーブンを温め、馬鈴薯を切って天板に並べる。塩と油を振ってオーブンで焼き、その間に露台のチャイブを収穫した。気づかないうちに小さな葱坊主の蕾を付けていて、咲いたところを見てみたい気もしたが、花が咲くと弱るだろう。

チャイブを刻んで、焼けた馬鈴薯にまぶす。コーヒーを淹れて朝食とする。退居に向けて冷蔵庫の中のものを減らして行かなくてはならないことを思うと、買い物に行くのも一層腰が重く、いい加減な食事が多くなる。ただただ面倒だ。

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