2011年9月27日

以前の僕の正しさについて

かつては僕ももう少し高潔な生き方をしていた様な気がする。

過去の自分と現在の自分との間に矛盾が見出されるというのは、恐らく極めてありふれたことであろう。問題は、それをどの様に解決して行くかである。

過去の自分を否定することは容易い。それは、現在の自分がより正しいことを保証してくれるからだ。

過去の自分を肯定することは容易い。それは、たとえ現在の自分が堕落しているとしても、「本来の自分」には貴い部分があったと思わせてくれるからだ。

それではどちらがより容易いかというと、そんなことを比較しても仕方が無いのであって、或る意見の正しさを、それが過去の自分のものであるか現在の自分のものであるかなどということを基準にして決めようとする事自体が安易かつ姑息的なのである。その様なことからは一旦離れ、当該の問題に改めて第一歩から向き合うべきなのではなかろうか。その結果として、過去の考えが捨てるべきものであると思われた場合には捨て、容れるべきものであれば容れれば良い。

そう思いながら、そうする事を選べないのは、つまり僕が到底高潔などとは言い難い生き方をしているということだろう。ただしそれは、過去の僕がどうであったかに関わらずそうなのだ。

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