2011年9月6日

再開/再休止に寄せて

ブログを再開する、という記事を書いて、そのあと数ヶ月も数年も放置する、ということをこれまでに何度やっているか、最後にそれを数えたのがいつであったかすら既に思い出すことが出来ない。

思えば最初に公開日記を付け始めたのが十年ほど前のことで(と振り返るのも「再開」のたびごとではなかったか)、当時は日に二度三度更新するのもしばしばであった。よくぞそんなに書くことがあったものだと、今となっては凡そ呆れるばかりである。

とは言いつつ、現今も Twitter では恥ずべき暮らしの暇に飽かせて日々愚にも付かぬ由無しごとを書き綴っているのであり、実のところ十年前から大して変わらぬことをやっているのではないかという風にも考えられる。

そしてそれは多分、瓦礫を積み上げる様な行為なのだろう。全体として目指す形もなく、ただ雑多なものを拾い集めて、うずたかい小山を成すに任せている。そこには傍目に認め得る様な生産性はあるまい。それでも、その瓦礫の山は僕にとって僕自身の痕跡であり、
言わば自分の為に日々築きつづける墓標なのである。

敢えていま再びブログという出力を持とうとしているのもそういった訳で、積み上がったものを俯瞰するのに Twitter はあまり向かない様に思えたからだ。無論、たまにはこうして 140字を越えるものを書きたくなる気が起こる、というのも理由の一つである。

そうした次第だから、これからは特に日記ということに拘らず、寧ろ日々の報告は Twitter に譲るとして、気の向いた時に、気の向いたことを少しづつ書いて行きたいと思う。それがどの程度頻繁なことになるかは、今のところ分からない。ともあれ、そうして立ち現れて来た瓦礫の山が、たとえ人の目に何らの意味を持たなかったとしても、ただ異様なものとして映ることがあったならば、僕は大いに満足である。

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