2015年11月29日

暇つぶし

しばらく前に知人が仕事を辞めた時、理由を訊ねてみたら、
「飽きたな、と思って」
との答えだった。

額面通りに受け取っていいものか分からない部分はあるが、かといって勝手にあれこれ忖度するものでもあるまい。それにしても、かれこれ十年近く勤めてきた会社のはずで、飽きるにしてはむしろ随分長続きしたのではないかと変な感心をする。

言うまでもなく、これは僕が飽きっぽいからそう思うのだ。大体なにをやっても半年持てば良い方で、あるとき急に没頭し始め、しばらくしてまた急に意欲を失う。

これも、取り立てて特殊な性向などではなくて、結局は意志が弱いことに帰せられるのだろう。初めたばかりで何もかもが目新しいうちはやる気が持続するが、伸び悩みの時期に至ると面倒になって投げ出す、というだけの話だ。

Twitter は五年近く続けていたのだろうか。しかしこれに関しては、どうも長続きをしたからと言ってさほど胸を張れる性質のものでもない様な気がする。毎日欠かさずテレビを見ている、とかいうのと大体同じで、受動的惰性的に関わっているだけでも一応「続けている」と称することができるものは、あまり継続を誇れるものとは思われない。

つまり、僕に於いて長続きするのは、そのような受動的惰性的な営みが精々のところである。こうなってくるともはや、三年の空白をもって再開したこのブログが、果たして次に更新を停止するまでどれくらい続くものか、逆に楽しみだという気がしてくる。